Sakura 撮影記

晴鉄雨読の撮影記

リベンジおろち号乗車記 ― 引退に寄せて

古事記に書かれている八岐大蛇伝説の大蛇があしらわれたヘッドマークが印象的

2021年にJR西日本から老朽化を理由に廃止が発表された奥出雲おろち号。私は一度だけ大雨の日に乗ったことがあったもののその時は今ほどの鉄道マニアではなくあまり楽しめなかったことを思い出しました

しかしよくよく組成を見ると控車は今では珍しくなった簡易リクライニングが装備されていることが判明。かつて中央線を疾走していた189に満足するまで乗れなかった苦い思い出を持つ私はせめて189同じ簡易リクライニングの座席を味わいたい!と思い立ち引退迫る2023年夏にもう一度おろち号乗車のリベンジをする運びとなったのです

 

おろち号に乗るにあたって考えたいのはまず日取りのことでした。関西・東京方面からはサンライズ号で行くと間に合わず、飛行機で行くと米子でギリギリ間に合うか間に合わないかという賭けに出なければならないという一筋縄ではいかぬ旅程作成を強いられることになることがわかり、島根県の並々ならぬ「地元の宿に金落としてくれオーラ」を感じました

そこで初日はまず復路の撮影を行い、翌日は丸一日乗車するというプランを組むことで効率よく最大限におろち号を楽しむ旅程を組むことに決定したのです

 

初日は奥出雲にしては珍しく快晴。好条件での撮影が期待できますが、移動手段が列車のみの私が行ける撮影地など限られるわけで、気になっていた日登のお立ち台へと向かうこととしました

このお立ち台は背後に山、そしていい感じ(語彙力)の家が一緒に写せる良いポジションなのですが、側面の光線状態が最悪。しかしそれ以上の条件を付けるともう一日滞在日を増やすことになるので本末転倒です

ということで光線は妥協することにし、このお立ち台で撮るということに落ち着きました

里山感を出したい!ということでここに決定。通過まで待っていると家主の方が手を振るために出て来られた

流石に追っかけは不可能なのでそそくさと宿へと退散。翌日は木次駅に10時とはいえ島根の市街地から鉄道を使って行くとなると7時起きは確定であるということですぐに休むことにしました

 

二日目は7時起き。この日は18きっぷを使ってまずは木次へと向かいます

(松江市街から木次だとそこまで費用対効果が良くなさそうに見えるがこの日は終電まで使い倒す計画なのでついでの感覚で使っている)

木次駅に着くと一旦下車し、備後落合までの普通乗車券を購入。おろち号単体では恐らく利益は出ていないのでここで18きっぷを使うのは流石に憚られます

▲間もなくの引退に合わせ、駅では記念品を配布していた。これ330円で受けていいサービスじゃないでしょ。。。

▲中にはポストカードと見切れてしまったしおりも入っていた。クリアファイルのみならずこんなものまで、、、もはや恐縮すらしてしまいます。凄い

▲後ほど頂いた記念品。記念品として駅とは別に車内で配っていたようで、私も頂いた

木次駅では食べ物を買い込んだ旅行者や子供連れの旅行者で溢れていた。しかしマニアはそこまで多くないようでみんなトロッコ車両に行ってしまい、控車は私と後ろの列の婦人のみとなった

ここまでのサービスを受けてもう満足してしまった私ですが、実はまだ発車していません。ついに10:08、おろち号は始発駅を定刻通り発車しました

発車とともにアルプスの牧場のオルゴールチャイムが流れ、国鉄車特有の音質の案内放送がかかり始めました。書き忘れていましたがちなみにこの日の天気は晴れです。最高のおろち号リベンジができると期待に胸を膨らませ、木次線を進みます

▲日登を過ぎると昨日訪れた撮影地を通過。するとほどなくして本格的に山の中へと入っていきます

木次から1駅進むと車窓には一面の緑が広がり、窓を少しだけ開けて森の香りを楽しみます。隣の方はトロッコ車両に夢中で帰ってこないので特段文句を言われることなく晩夏の奥出雲を味わうことができました

車掌さんから追加のサービスをいただき、しばらくまた旅は進みます

最初の長時間停車は出雲坂根。5分の停車がありました。

▲峠越えが近づき雲が広がるようになったが、頭上の天気は晴れ。山の天気は読めないもんだ。しかしこの塗装、すぐ曇ったり晴れたりする奥出雲の天気になんと似合うことか。思わず空を入れてしまう

▲客車メインでもう一枚。反射するDE10もまた良い

少数の鉄道マニアは水を得た魚の如く車外へと飛び出し列車の写真を撮ることに大忙し。私はというと一通りの撮影を終えた後、車内からワンマンカー用のミラーに反射したおろち号を撮るなどしてローカル線ならではの撮影に興じていたのでした

▲窓を開けてミラー越しに見るトロッコ客車と牽引機。下の窓が開く車両ならではの楽しみ方を見つける

出雲坂根を過ぎると木次線一番の難所三井野原越えにかかります。三段スイッチバックを楽しめるのもこれが最後と思いつつ車掌さんからの案内に耳を傾けます

▲「おろちループです」と案内された大きな橋。あの橋を客観視することは今後ないかもしれない

「11月の紅葉の時期は大変美しく、赤に染まる山々をご覧いただけます。紅葉シーズンにも是非ご乗車ください」などとご案内いただきました。欲を言えば紅葉も見たかったものですが、緑の山々もそれはそれで綺麗じゃありませんか

 

三段スイッチバックを過ぎるとおろち号はスキー場のある三井野原に到着。ここで団体に参加されていた婦人が降りて行かれました。さてここからはひたすらダウンヒル。車掌さんからは芸備線の乗り換え案内放送とともに「本日はご乗車ありがとうございました」とのご案内がありました。楽しかった旅ももう終わりか...と思ってしまいます

 

▲8421とは木次からやってきたおろち号の列車番号。引退後はどうなるのだろう

▲風鈴を入れて。客車はギリギリ見えるかな

 

というのは周りの多くの人の話であって、私には関係ありません。きちんと往復分の乗車券・指定券は手配済みなのです

と、いうことで折り返し木次までの旅がスタートです

備後落合を発車して暫くすると再び車掌さんがおいでになり、往路とはまた違った記念品を頂きました。私が首からカメラを提げて往路・復路ともに控車にしかいないような変人だったので恐らくマニアだと察してくださったのだと思いますが、それにしてもわざわざお気遣いいただきありがとうございました

▲接続列車が存在しないため備後落合からの乗車は少ないようで、控車には私しかおらず自由にうろうろ写真を撮っても特段迷惑がられることはなかった

列車は再び三井野原を越え、三段スイッチバックに差し掛かります。乗務員の方が複数人で忙しく車内を行き交う光景も昨今では大変に珍しくなりました

お仕事中の写真を撮るなんてことはできませんから目に焼き付けておく程度にするとして、山越えのDE10を撮る事に専念することにしました。ガラガラの車内ではデッキを自由にうろついても誰からも嫌がられません

三井野原越えのDE10。爆煙というわけではなく、ゆったりとした走り

山を下りると出雲坂根に到着です。ここでは往路より長い停車時間が取られるため観光客もマニアもこぞって車両を降りて地元の名物を味わったり追っかけの仲間との談笑、行き違いの普通列車との離合や構内踏切からの撮影を楽しんでいました

▲編成写真っぽく全体を入れて一枚。乗車中にも記録のチャンスがあるのはマニアには嬉しい

▲電柱がなければ撮影会アングルじゃん!という構内踏切からのカット。これ以上前進すると線路内侵入になってしまうので妥協しつつも多くのマニアと観光客とともに夢中でファインダーを覗いた覚えがある

アイキャッチ画像もここの構内踏切からのカット。結構迫力のある写真が撮れるいい場所なのだ

 

出雲坂根を出ると天気は曇りへと転じ、沿線で追っかけを頑張るマニアの顔も曇りへと転じ始めたころ、私は睡魔に負けて寝てしまいました。

起きたのは19分の停車がある出雲三成駅。やけに忙しそうな音がすると思ったらマニアが大挙して沿線の物産を取り扱う店に駆け込んでいくのが見え、私も降りることに

出雲三成駅ではトロッコ車両含め大勢が駅併設の物産館へと消えた。おかげで車内撮影が捗るものだ

▲私も貢献。出雲三成駅の入場券は西日本でよくみられる文字デカバージョンである

出雲三成を出ると再び午睡を貪り、列車は知らぬ間に下久野へと到達していました。いやしかし贅沢なことをするというのは気分がいいもんで、気持ちの良い朝を迎えたような爽快感を感じながら初日に撮影したポイントを通過。ここまで来るとグネグネと曲がる沿道は一気に線形が良くなるため追っかけをするマニアの車が格段に増えます

そんなマニアを横に見ながらガラガラの車内で出雲三成で手に入れたお土産を片手に昼下がりのティータイムを楽しみながらゆったりと流れるおろち号最後のひと時を楽しむことにしました

▲昼下がりの車内には暖かな日差しが差し込み、なんともまったり~な雰囲気が漂う

 

しかしその夢のようなひと時も終わり。お世話になった車掌さんから「まもなく木次でございます。またのご乗車をお待ちしております」との案内放送が入り、いよいよ終点の二文字が見えてきたことをひしひしと実感させられます

車掌さんからのサービスや地元の方々からのおもてなし、そして何より好天に恵まれた沿線の景色を車内から楽しむという体験ができたことに感謝しながら奥出雲の地に別れを告げることとなりました

列車は木次駅に到着し、車掌さんに感謝の挨拶をして2分後の宍道行きワンマン列車に乗り換えます

本当はもっとゆっくり撮影などして行きたかったのですが私はこの日のうちに大阪へと帰還しなければならなかったので急がざるを得ません。断腸の思いとはこのことです

木次での名残惜しさを噛み締めつつも私には一つの厄介事が脳裏にちらついてしました。それは「今から18きっぷで大阪までぶっ通しで行く」という地獄のような修業がこれから待っているということです。結局のところ順当に乗り換えが進み、終電までには大阪に到着したのですが、異常なまでに疲れたことだけがはっきりと記憶に残っています

終にこの後私が紅葉を見に行くということはないままおろち号は廃止となってしまいましたが、最後の乗車となった夏のおろち号もあまりあるほどのおもてなしを頂いたりと思い出に残るものになったと思います。最後だからこそ全力で楽しませようと努力していただいた乗務員の方に感謝申し上げるとともにおろち号がいつまでも忘れられないことを願い、結びとさせていただきます